ケータイ辞書JLogosロゴ 加賀美郷(中世)


山梨県>若草町

 戦国期に見える郷名。巨摩郡のうち。永禄12年11月5日の武田家印判状によれば,法善寺の子院福寿院に対して「加賀美之内僕壱人家一」の棟別役が免許されている。天正10年,甲斐に入った徳川家康は武田旧臣の所領や寺社領を基本的に安堵する方針をとった。法善寺に対しても,同11年4月19日,家康の判物が与えられ,「加賀美内九拾八貫六百文・寺部内壱貫文・藤田内壱貫百廿拾文余・加賀美中条内壱貫五百文等」の寺領が安堵された(法善寺文書/甲州古文書2)。また,同年10月21日の徳川家康印判状によれば,岩間大蔵左衛門尉に対して当地で夫銭15貫文と43貫文の知行が安堵された(旧岩間村岩間氏所蔵文書/同前)。天正17年には徳川氏の代官伊奈忠次のもとで検地が行われるが,同年11月23日には,先の法善寺の寺領も確定され,「加々美郷内」で272俵1升6合7夕が与えられている(法善寺文書/同前)。郷域は江戸期の加賀美村とほぼ同じと考えられる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7335496
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ