ケータイ辞書JLogosロゴ 上条郷(中世)


山梨県>甲府市

戦国期に見える郷名巨摩【こま】郡のうち永禄4年閏3月吉日の武田晴信禁制に「卅六番 上条の禰き」と見え,当郷の八幡社の神官も番役として府中八幡宮において祈祷の勤仕を命ぜられたもの(八幡神社文書/甲州古文書1)江戸期,上条郷は上条新居と,それに対して古上条と呼ばれる地に分かれるが(国志),先の禁制には「かみ新居の禰き」とも見え,これは上条新居のことで,この時点で当郷はのちに古上条と呼ばれる地と上条新居となる地に分かれていたことが知られるしかし上条の名はその後も見え,天正10年3月,武田氏滅亡後に甲斐を分国とした織田信長は天正10年4月に「甲州上条郷」に対して,甲乙人らの乱妨以下を制止する禁制を発している(船形神社文書/甲州古文書3)また同年6月の本能寺の変の後,甲斐に入った徳川氏は,6月26日に一蓮寺に対し「壱貫八百文 上条宝珠寺」および天正11年4月19日に「上条内壱貫五百文」をおのおの寺領として安堵している(一蓮寺文書/甲州古文書1)なお,「高白斎記」天文7年条に「上条ノ地蔵堂」とあるのは現甲府市国母町の稲積国母地蔵のことで,当時の郷域は現在の甲府市古上条町・上条新居町・国母1〜8丁目一帯であったと思われる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7335664
最終更新日:2009-03-01




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