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- 窪(中世)とは
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窪(中世) 室町期~戦国期に見える字名山城国愛宕【おたぎ】郡河上郷のうち賀茂別雷神社領宝徳3年3月24日,河上郷地からみ帳(写)に,「〈次西ノ中,窪〉一反 同(河原八丁内)作人〈池殿〉太郎三郎」とあるのが初見同帳にはまた「窪御堂田」なる田地2筆1反半も見え,上記1反の近辺に位置したことが判明する天文19年9月26日の河上郷検地帳にも,「〈くほ〉一反半 妙観寺田 作人竹鼻与二郎」と見える(以上,賀茂別雷神社文書)両帳の地図上復元によれば,現在の北区小山北玄以町西部から小山西玄以町東部にかけての賀茂川沿いの地宝徳3年地からみ帳の記載にもあるように,このあたりは別に河原八丁の名でも呼ばれたところである |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
窪(中世) 鎌倉期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」