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- 久保町(近世~近代)とは
「久保町(近世~近代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- 久保町(近世~近代)
江戸期~昭和37年の町名江戸期は甲府城下上府中(古府中)26町の1町窪町とも書く(享保9年甲府町方並寺社諸品申送帳/都市史料)武田氏の時代に造営された町の1つで...
[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7335850]
関連項目:
赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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久保町(近世~近代) 江戸期~現在の通称地名厳島神社西方の西町のうち白糸川の右岸,御手洗川との合流地点で,滝町の下流地域大内・毛利氏の支配下では久保小路・西久保路などと見え,近世初頭に久保町となった町役は滝町に含まれていた元禄年間まで竹林内侍の居館があった天明町絵図では,社家・寺庵4,町人屋敷32,抱屋敷3明治22年厳島町,昭和25年からは宮島町の通称地名となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」