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山梨県>塩山市

 戦国期に見える地名。山梨郡のうち。天正2年3月28日の武田家印判状によれば,「勝沼・熊野両郷之田屋々敷棟別六間并被官屋敷」が跡部大炊助(勝資)に下し置かれている(旧勝沼村次郎左衛門所蔵文書/甲州古文書1)。天正10年3月,武田氏滅亡後,甲斐は一時織田信長の支配するところとなったが,同年6月,京都本能寺で信長が死没すると,徳川家康が入部,小田原北条氏の競合を排して甲斐一国を掌握するに至った。家康は武田氏旧臣の本領安堵を進めたが,当地では,天正10年12月9日,「甲州熊野之内三拾貫文」を田沢久助に(記録御用所本古文書/甲州古文書3),翌11年9月28日には「熊野惣領分内秋山源三分四拾貫文」が広瀬美濃守(景房)に(譜牒余録/甲州古文書3)それぞれ安堵されている。また,天正11年4月18日には「熊野内弐拾五貫文」「熊野惣領壱貫文」が当地の熊野神社領として安堵された(熊野神社文書/甲州古文書1)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7335857
最終更新日:2009-03-01




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