ケータイ辞書JLogosロゴ 曲輪田郷(中世)


山梨県>櫛形町

 戦国期に見える郷名。巨摩【こま】郡のうち。曲輪田・曲輪田村ともいう。永禄4年閏3月吉日の武田晴信禁制に府中八幡宮の廻番として「五十五番 くろ輪田の禰き」とあり,当地の諏訪明神の禰宜が2日2晩,府中八幡宮に奉仕したことが知られる(八幡神社文書/甲州古文書1)。天正10年甲斐に入った徳川家康は武田氏の旧臣に所領安堵や充行を行っているが,同年の11月9日の徳川家印判状写によれば,落合信吉の本給として「甲州曲輪田拾三貫文……曲輪田夫壱人之事」とあり,本給として当村ほか計40貫文と当村人夫役1人分を安堵した(記録御用所本古文書/甲州古文書3)。また,同年11月27日の同印判状では,信州との替地として,「曲輪田内壱貫五百文」ほか計4貫500文の土地を土屋衆の矢崎又右衛門尉の本給として安堵している(矢崎徹之介家文書/甲州古文書2)。同年12月3日の同印判状写では,「甲州曲輪田村内三貫文……曲輪田郷棟別一間免許」とあり,武田氏の旧臣小林助三郎の本給を安堵している(旧曲輪田村弥一右衛門所蔵文書/同前)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7335883
最終更新日:2009-03-01




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