ケータイ辞書JLogosロゴ 極楽寺(中世)


山梨県>玉穂町

 戦国期に見える地名。巨摩【こま】郡のうち。天正10年,武田氏の滅亡の後,甲斐に入った徳川家康は,武田家の旧臣や寺社に所領充行,安堵を行ったが,同年8月9日の徳川家康印判状写によれば,石坂勘兵衛に対して極楽寺で9貫500文を充行っている(河野家文書「申伝書」/甲州古文書3)。また,同年12月12日には,同じく当地で10貫文を本給として安堵している(同前)。さらに,同11年4月19日の徳川家康印判状写には「極楽寺内五百文」とあり,寺領10貫300文のうちとして安堵されている(八幡神社文書/甲州古文書2)。なお,「一蓮寺過去帳」の永享6年・文明18年・文亀4年の部分にも当地の名が見えるが,寺院名とも考えられる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7335956
最終更新日:2009-03-01




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