ケータイ辞書JLogosロゴ 小淵沢村(近代)


山梨県>小淵沢町

 明治22年〜昭和29年の北巨摩郡の自治体名。大字は編成せず。明治22年の戸数406・人口2,105,同24年の戸数418・人口2,212,学校は小淵沢尋常小学校があり,物産は米・麦・粟・稗・黍・大豆・蕎麦・玉蜀黍・馬鈴薯・繭・生糸・真綿・熨斗・生皮苧・麻布・楮皮など,民業は農業を主とし,余業として商110戸・工25戸・養蚕80戸(市郡村誌)。大正9年の世帯数570・人口2,605。明治37年国鉄中央本線が開通。小淵沢駅が開設される前後から駅を中心に商店街が開け,同41年には郵便局が開局,大正中期には北巨摩郡下で韮崎【にらさき】に次ぐ商工業の中心地となる。大正10年3月駒電力が水力発電所を菅原村に建設,4月1日から送電,村に電灯がはじめてともり,同13年電話も開通した。明治15年頃から始まった養蚕業は,大正中期から昭和初期に最盛期を迎え,米とともに農家経済を支える2本の柱となる。昭和10年繭市場を駅前に開設,近隣の繭の集散地としてにぎわい,国立・県立の蚕業試験場も建つ。昭和初期からの農村不況により,農家は肥料代などの多額の負債をかかえ,これを解消するため昭和12年から5か年の農村経済更生運動を展開したが,まもなく戦時体制下に入る。昭和19年学童疎開90名を受け入れたほか,一般避難疎開・戦災者疎開などが500世帯とも600世帯ともいわれた。同20年から八ケ岳山麓に開拓入植が始まり,大富・東和・豊畑などの開拓団が入植して集落を形成,のちに大東豊集落となる。同28年春以来冷害・病害のため農作物は大被害を受け,稲・麦の被害は70%を超し,被害総額は3,000万円に達した。同29年小淵沢町の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7336005
最終更新日:2009-03-01




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