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- 小松(中世)とは
「小松(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 小松(中世) 南北朝期から見える地名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 小松(中世) 南北朝期に見える地名会津郡のうち延文2年3月10日の西堂寺太子像銘(県史7)に「檀主小松・金家住人法心・妙円二人也」と見え,小松・金家の住人法心・妙円の2人が太子像を施入したことが知られる「新編会津」は下小松村の条に館跡3か所を記すが,そのうち村中にある館跡は本丸・二の丸・三の丸跡があり,延文年間に小松弾正包家が築き,その後平田総右衛門が住み,天正年間に松本源兵衛が居たと伝える村の東北にある館跡は何人が住んだか不詳村の西にある館跡は鴨之助館といい,いつの頃か佐々木鴨之助某が住んだと伝える由緒ある人のものと思われる五輪塔が下小松村常徳寺と村中の屋敷にあるが,「新編会津」は後者を小松殿の墓と伝える会津地方中部,現在の北会津村大字古舘のうち... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 小松(中世) 室町期に見える地名募飾郡のうち中川・綾瀬【あやせ】川下流の低湿地帯に位置する江戸期には上小松村・下小松村がある地名の由来は不明だが,小松を駒津にあて「続日本紀」神護景雲2年の条に見える下総井上【いのかみ】駅の古地とする説もある平安末期,葛西清重が寄進したといわれる伊勢神宮の葛西御厨【かさいのみくりや】三十三郷のうちと思われる初見は応永5年8月の「葛西御厨田数注文写」であり,「小松 廿八丁一反半 西東二丁三反」とある別の年未詳田数注文写にも「小松 三十町三段半」と見える(櫟木文書)戦国期には小田原北条氏の家臣,江戸衆の遠山丹波守の所領として「七拾貫九百五拾弐文 葛西 小松上下」とある(役帳)葛飾区新小岩のあたり... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 小松(中世) 南北朝期から見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 小松(中世) 戦国期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 小松(中世) 室町期に見える地名上総国馬野【まの】郡のうち応永年間頃のものと推定される年月日未詳の馬野郡惣勘文(覚園寺文書/相州古文書4)に「小松 二丁八反半」と見える比定地は馬野郡の郡域にあたる現在の市原市北西部とみられるが,詳細は不明... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 小松(中世) 室町期から見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 小松(中世) 戦国期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」