ケータイ辞書JLogosロゴ 小室之郷(中世)


山梨県>増穂町

 戦国期に見える郷名。巨摩【こま】郡のうち。永禄5年5月10日の武田晴信判物によれば,小室の徳栄山妙法寺の住持職として三守法眼寿量院日薬を任じ,当郷内の寺領5貫文の地を安堵している(妙法寺文書/甲州古文書2)。妙法寺はこの当時,日蓮宗小室派の本山として繁栄した古刹であり,武田信玄は同寺の住持日薬と親しく,信玄の軒号「徳栄」は日薬の贈る所と伝えられる(増穂町誌)。信玄の子息勝頼の代になっても,同寺への保護は篤く,天正6年には脇坊6供の棟別その他が免除され,天正9年には,法花読誦の間の諸商売役や押買狼藉や喧嘩口論の禁制が出されている(妙法寺文書/甲州古文書2)。天正10年,武田氏滅亡に際し,在地の混乱を避けるため,徳川家は天正10年3月5日に小室妙法寺と門前における乱妨狼藉放火を停止し,同年4月には織田信長は小室郷に対して「甲乙人等乱妨狼藉事」「対還住百姓以下成煩事」「非分課役事」という3か条の禁制を発している(同前)。そして,徳川氏時代,加藤氏時代にも,寺領3貫文と住持職および脇坊6供・門前5軒の棟別が免除された(同前)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7336036
最終更新日:2009-03-01




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