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山梨県>増穂町

 明治後期・大正期〜現在の大字名。はじめ穂積村,昭和30年からは増穂町の大字。もとは穂積村の一部。世帯数・人口は,昭和30年237・1,303,同50年171・710,同55年150・543。過疎化の現象をみせている。ユズ栽培は当地の特産として声価を高めたが,主産業は養蚕で大型養蚕家が多く,林産業やキノコ栽培も盛んである。昭和15年高下【たかおり】学校と小室学校を合併して穂積尋常高等小学校とし,同30年増穂町に合併後増穂南小学校・増穂南中学校が成立。同34年増穂南中学校の校舎を新築。その後生徒数の漸減により同46年増穂中学校に統合された。昭和25年山梨新十景として「小室山と益母富士」が選ばれ,田之頭ビャクシンは同42年県天然記念物に指定された。同47年妙法寺本堂が火災に遭った。同59年,特別養護老人ホーム福寿荘を開設。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7336038
最終更新日:2009-03-01




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