ケータイ辞書JLogosロゴ 坂折村(近世)


山梨県>甲府市

 江戸期〜明治8年の村名。山梨郡のうち。万力筋に属す。はじめ幕府領,のち甲府藩領,享保9年からは幕府領(「旧高旧領」では甲府代官所)。村高は,「慶長古高帳」では酒折と見え544石余(ほかに寺社領分では「酒依」と見え八幡領3石余がある),「宝暦村高帳」563石余,「天保郷帳」567石余,「旧高旧領」566石余(うち八幡社領3石余)。慶長6年検地での反別は田31町1反余・畑4町2反余・屋敷3反余。「国志」によれば,阪折村と見え,枝郷に山崎があり,文化初年の戸数45・人口157(男78・女79)。神社は朱印高3石余の八幡宮と酒折宮,寺院は臨済宗東光寺末の仏生山浄生院がある。用水は上万力村より南流する幅2間の十郎川およびそれと合流する濁川がある。村の前を幅4間の甲州街道が通る。慶長6年検地によると,村内には「山崎・さいりうめ・山田」の小字があった。また酒折宮境内には,「古事記」「日本書紀」の日本武尊伝説に基づいて,寛政3年本居宣長撰・平田篤胤書の「酒折宮寿詞」の碑,および宝暦12年山県大弐撰の酒折宮碑がたてられている。明治4年山梨県に所属。地租改正前の耕地面積は田24町余・畑14町余(市郡村誌)。同8年里垣村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7336080
最終更新日:2009-03-01




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