ケータイ辞書JLogosロゴ 猿橋村(近世)


山梨県>大月市

 江戸期〜明治4年の村名。都留郡のうち。郡内領に属す。甲州街道猿橋宿を形成。「国志」によれば,枝郷に小倉・幡野がある。また,古くは殿上村も当村のうちに含まれていたが,文禄検地の際に分村したと推定されている。はじめ谷村藩領,宝永元年からは幕府領(おおむね石和【いさわ】代官所谷村出張陣屋の支配)。村高は,「慶長古高帳」95石余,「寛文九年甲斐国郡内領高辻帳」「享保郷帳」ともに246石余,「天保郷帳」247石余,「旧高旧領」も同じで,うち神明社除地9斗・八幡社除地2斗余・御岳社除地2斗余・太神除地2斗余・山王社除地2升余・地蔵除地4升余。文化初年の戸数144・人口638(男328・女310),牛馬なし(国志),天保3年の家数144・人数615(村高七通順一州諸留)。同年の調査によれば,村高246石余のうち田70石余・畑149石余と約3分の1を田が占めている。宿場として駄賃稼ぎのほかに養蚕・機業が盛んで,太織・紬・絹織物の産出は多く,上野原・谷村とともに絹市場の開催地として郡内経済の中心をなしていた。この状態はほぼ大正期まで続いた。寺院は,臨済宗建長寺派孤猿山心月寺,曹洞宗長谷寺があり,心月寺は正安元年仏眼大休の開山と伝え,古くは猿橋の南岸にあったという。神社は,諏訪春日神社・御岳神社・八幡神社の3社がある。明治4年山梨県に所属。地租改正前の耕地面積は田6町余・畑26町余(市郡村誌)。なお同7年心月寺本堂を仮用して猿橋学校を開設。明治4年大原村の一部となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7336102
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ