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山梨県>甲府市

 明治22年〜昭和17年の千塚村の大字名。明治24年の戸数42・人口370(徴発一覧)。児童は千塚尋常小学校と甲府市内の新紺屋尋常小学校に分かれて通学した。当地出身の田中啓吉は甲府警察署長・東八代郡長を勤めたが,明治45年甲府警察署長時代に,東京八王子・西多摩郡下・埼玉県下を荒し回っていた山窩の強盗山口団蔵ら男女5人を甲府市内で逮捕した。明治40年歩兵49連隊の甲府営駐が決まり,兵営用地として当地の一部もあてられた。このため,ここを耕作していた小作人は土地を失ったので,当地草分けの家々が出資してマッチ工場を建設し彼らを職工として働かせたが,のちこの工場は経営失敗に終わった。同42年に甲府連隊が入ってからは人の出入りが頻繁になった。また島上条・大宮・千塚などに出現した水車の精米業の発展で,精米市場へ運ぶ荷馬車が関屋往還を頻繁に通るようになった。これに伴う立場(馬方らが馬を休め,飲食する店)も当地に現れた。大正14年甲府市立朝日尋常小学校が地内に設立され,その東の隣接地には昭和3年甲府市立工業学校が建設された。同年甲府市から甲府中学校も移転した。朝日尋常小学校には千塚村の児童も通学した。同17年甲府市の町名となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7336140
最終更新日:2009-03-01




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