ケータイ辞書JLogosロゴ 鎮目(中世)


山梨県>春日居町

 戦国期に見える地名。山梨郡のうち。「王代記」天文8年条に「大持人足鎮目沢尻万力鳥居笠木知野宮ニテ伐」とある。永禄5年4月13日の武田晴信印判状写によれば「鎮目之内飯田安左衛門分四貫七百文」が徳条の源右衛門に充行われ,元亀3年9月26日には同所が源右衛門子息神八に安堵されている(飯田貞甫家文書/甲州古文書1)。天正10年3月,武田氏滅亡後,甲斐はいったん織田信長の支配下に入ったが,同年6月に京都本能寺で信長が死没すると,徳川家康が入部し,8月には甲斐を掌握するに至った。家康は武田氏旧臣らの本領安堵を推進した。当地においては,同年9月2日に「甲州鎮目内百貫文」を多田三八(正吉)に(記録御用所本古文書/甲州古文書3),同年12月7日に「鎮目内七百貫文」を青木尾張守(信時)におのおの本領として安堵している(旧武川衆所蔵文書/甲州古文書2)。また,同日には「鎮目内造酒佑分四百文」が折井長次郎(次正)に新知行として充行われた(旧武川衆所蔵文書/甲州古文書2)。翌11年4月18日には「鎮目内四百九拾九文」が山梨岡神社神領として,「鎮目内弐百五拾文」が同社近傍の四阿山領として安堵された(山梨岡神社文書/甲州古文書1)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7336149
最終更新日:2009-03-01




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