ケータイ辞書JLogosロゴ 下芦川村(近世)


山梨県>三珠町

 江戸期〜明治7年の村名。八代【やつしろ】郡のうち。中郡筋に属す。はじめ渡辺囚獄佑領,寛永9年幕府領,同11年再び渡辺囚獄佑領,天和元年幕府領,宝永元年甲府藩領,享保9年からは幕府領(上飯田代官所,のち市川代官所)。村高は,「慶長古高帳」37石余,「宝暦村高帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ではともに40石余。文化初年の戸数82・人口302(男136・女166),馬8(国志)。武田・徳川両氏から拝領した諸役免許の朱印状に代わる代官発行の鑑札を57枚保有し,農間にはそれを携えて甲斐国内をはじめ遠い他国まで商売や駄賃稼ぎに出かけ,村内では薪取りや炭焼きなどの山稼ぎで生計を立てた(三珠町誌)。神社は蹴裂神社。寺院は曹洞宗永源寺末嶺谷山雲洞寺,日蓮宗妙法寺末芦川院大乗寺。明治4年山梨県に所属。同5年の戸数71・人口309,翌6年の薪炭生産高は,薪5,000貫・木炭1万5,000貫(八代郡第11区書上)。明治7年九一色【くいしき】村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7336186
最終更新日:2009-03-01




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