ケータイ辞書JLogosロゴ 下飯田村(近世)


山梨県>甲府市

 江戸期〜明治8年の村名。巨摩【こま】郡のうち。北山筋に属す。はじめ幕府領,のち甲府藩領,享保9年からは幕府領(甲府代官所)。村高は,「慶長古高帳」541石余,「宝暦村高帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ではともに569石余。慶長6年検地での反別は,田19町5反余・畑5町8反余・屋敷7反余。文化初年の戸数26・人口86(男44・女42),馬1(国志)。五穀のほかに木綿・瓜・茄子などを生産し,農間期には男は御城米の縄俵を作り,女は糸を取ったり機を織り,また莚などを作っていた。神社は八幡宮,寺院は曹洞宗慈照寺末の麒麟山慶雲寺,浄土宗帰命院末の竜登山洞雲寺,日蓮宗身延山久遠寺末の善恵山常円寺がある。慶長6年検地によると,地内には「北はたけ・大津ぼ・川ばた・榎田・見ちそへ・前川原・下川原・東条・天神前・東畑・大坪・西上・戸井田・高せぎ・上清かわら・まどく・西条・水宮・前かはら・前田」という小字があった。明治4年山梨県に所属。地租改正前の耕地面積は田29町余・畑12町余(市郡村誌)。同8年池田村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7336190
最終更新日:2009-03-01




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