ケータイ辞書JLogosロゴ 下於曽(近代)


山梨県>塩山市

 明治後期・大正期〜現在の大字名。はじめ七里村,昭和3年塩山町,同29年からは塩山市の大字。もとは七里村の一部。明治23年第1回総選挙以来,東山梨郡下における政治上の2派,公道・非公道派(のちの政友・民政両派につながる)の発生の地として県下で最も政争の激しいところと目された。一方大正9年には地内で地主と小作人との紛争から下於曽小作組合が結成されている。昭和22年塩山中学校が開校。同30年代から従来の農・蚕業に代わりブドウを主とした果樹栽培が盛んになる一方,宅地化と人口の増加が進んだ。同48年勤労青少年ホームが設立され,同54年県史跡於曽屋敷のうち東半分が於曽公園となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7336229
最終更新日:2009-03-01




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