ケータイ辞書JLogosロゴ 高畠(中世)


山梨県>甲府市

 戦国期に見える地名。巨摩【こま】郡のうち。永禄6年と推定される7月6日の武田晴信印判状に「石田両郷・高畠……以右之郷中之人足,可退当水者也」とあり,武田氏は釜無川の洪水の水防のために当地以下から人足を徴発したことが見える(保坂量一家文書/甲州古文書2)。天正10年,武田氏滅亡後,甲斐国には徳川氏が入り,武田氏旧臣に本領安堵の印判状などを多く発給するが,天正10年11月20日には青沼助兵衛に本領として「高畠之内定納」5貫文ほかを,同年12月3日には以清斎元松(市川氏)に本領として「高畠本在家」300貫文を,同年12月12日には志村又左衛門尉に本領として「高畠内塩屋分」18貫文をそれぞれ安堵している(譜牒余録/甲州古文書3,記録御用所本古文書/甲州古文書1,河野家文書「申伝書」/甲州古文書3)。なお天正18年の徳川家康関東移封後,甲斐国に入封された加藤光泰の城代加藤光政発給の天正20年2月14日付身延山末寺屋敷免許状に「弐百八坪 端坊 高はたけ高源寺」と見える(久遠寺文書/甲州古文書2)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7336474
最終更新日:2009-03-01




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