ケータイ辞書JLogosロゴ 竹森(中世)


山梨県>塩山市

 南北朝期〜戦国期に見える地名。山梨郡のうち。「塩山向嶽禅菴小年代記」永和3年条に同年3月上旬,向嶽寺開山抜隊得勝禅師が武蔵から甲斐に移り,「竹森」に庵を結んだこと,康暦2年条には大檀那武田信成の援助をうけ,同年正月に当地から塩山のふもとに移居したことが見える(影印甲斐戦国史料叢書1)。抜隊禅師の死後,至徳4年に編まれた「塩山抜隊和尚語録」には,この間の事情を「師先到高森樹庵……従住高森後三年之正月二十日,移彼(塩山)開地」と記している(大正新修大蔵経)。また,「塩山向嶽禅菴小年代記」大永6年条には,この年の4月に「於曽千野竹森松之尾村上井尻数十郷」に氷塊が降ったことを伝える(影印甲斐戦国史料叢書1)。永正12年5月16日の雨宮某寄進状写によれば,「竹森之内宮畠一枚斗数六升蒔之処」,大永7年3月吉日の村山勝久寄進状によれば「竹森岩下ひかしまた三斗まきの処」が,それぞれ向嶽寺に寄進されている(向嶽寺文書/甲州古文書1)。「竹森岩下」については,現在の塩山市竹森字岩下に当たると考えられる。なお,武蔵広園寺の開山令山峻翁の行実録「広園開山行録」の奥書に「時明応六年丁巳仲春初六日,於甲陽城□山梨郡竹森郷慈眼禅院小軒下写之者也」と見える(大日料7‐9)。また,永禄4年3月の府中八幡宮宛の武田晴信禁制に見える「高もりの禰宜」は当地の玉宮明神(玉諸神社)を指すものと思われる(八幡神社文書/甲州古文書2)。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7336500
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ