ケータイ辞書JLogosロゴ 田島郷(中世)


山梨県>甲西町

 戦国期に見える郷名。巨摩【こま】郡のうち。天正10年に甲州に入った徳川家康は武田氏旧臣や寺社領を基本的に安堵した。天正10年11月7日の徳川家印判状では,「甲州田島内和田源介分五拾貫文」他計90貫400文を塚原六右衛門尉に安堵している(中村不能斎採集文書/甲州古文書3)。同11年4月19日には家康の印判状で,櫛形町下宮地の三輪大明神に社領500文を当地で安堵し,同年4月24日には,府中八幡宮領200文が安堵されている(甲斐史料集成稿・八幡神社文書/甲州古文書2)。さらに,同年4月26日の徳川家康印判状写には,増穂町小林の南明寺領1貫が見え,安堵されている(南明寺文書/同前)。なお,天正20年の身延山末寺屋敷免許状に「田嶋 妙大寺」と見える(久遠寺文書/同前)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7336503
最終更新日:2009-03-01




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