ケータイ辞書JLogosロゴ 千塚村(近代)


山梨県>甲府市

 明治22年〜昭和17年の西山梨郡の自治体名。千塚村・塩部村が合併して成立。旧村名を継承した2大字を編成。明治24年の戸数184・人口1,036,学校は千塚尋常小学校があり,物産は西瓜・実綿・藍葉など,民業は農業を主とし,工・商・雑業を営むものは10分の1である(市郡村誌)。役場を千塚に設置。同40年歩兵49連隊の甲府営駐が決まったため,水道・電気・道路などの完備が迫られ,この問題とともに甲府市域の西北部拡張計画が再燃,千塚・大宮両村へ合併の誘いがかかった。しかし市の上水道敷設の水利補償問題が未解決のため合併は見送られた。この上水道は荒川の流水を千代田村内で取り入れ,大宮・千塚両村内を通って甲府市へ送水するもので,上流で取水されてしまうことに村民は強い不安を覚え,さらに大正4年第2次拡張改良工事が施工された時には荒川沿岸の他の村々も同様に反対したが,溜池を造り灌漑用水の必要時に役立てるという条件で昭和11年円満解決をみた。またこの間当村民に区域外給水と市立小学校への区域外入学が許容された。こうして市域との密接度が増し,同15年から合併の話合いが進められた。同17年甲府市の一部となり,村制時の2大字は同市の町名となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7336541
最終更新日:2009-03-01




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