ケータイ辞書JLogosロゴ 千塚町(近代)


山梨県>甲府市

 昭和17〜46年の甲府市の町名。昭和20年の空襲では被災を免れ,多くの被災者・引揚者が当町に転入した。世帯数・人口は,昭和25年339・1,781,同30年435・2,111と増加し,次第に市のベッドタウン化した。同34年には都市計画区域の用途別地域として第2種住居専用地域に決まり,これに付随する日用・雑貨など生活用品の商業地域も決定した。都市計画の街路網は,県道細工町敷島線が県道甲府敷島韮崎線に昇格し,同53年から拡幅工事が行われた。またこれと交差する御岳道は県道甲府昇仙峡線となり,同時に拡幅された。町並みは一新し,アパート・飲食店も増加した。一部が,昭和43年塩部1〜4丁目,同44年富士見1〜2丁目・音羽町・千塚1〜2丁目・湯村1〜2丁目,同45年千塚3〜5丁目・湯村3丁目となり,残余の地域も同46年山宮町となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7336543
最終更新日:2009-03-01




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