ケータイ辞書JLogosロゴ 綱ノ上村(近世)


山梨県>大月市

 江戸期〜明治7年の村名。都留郡のうち。郡内領に属す。はじめ谷村藩領,宝永元年からは幕府領(おおむね石和【いさわ】代官所谷村出張陣屋の支配)。村高は,「慶長古高帳」198石余(村高のみで村名を欠くが,「寛永村高帳」の当村の村高と同一であるため,当村の高であることがわかる),「寛文九年甲斐国郡内領高辻帳」「享保郷帳」ともに137石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに200石余。近世前期に村高が急減したのは,甲州街道が鳥沢〜上野原間は北の山道に迂回し,当村など桂川沿いの通称川通りの通行が減少したためではないかと考えられている(大月市史)。その後の村高の上昇は次第にそれが回復していったためといえようか。天保3年の調査ではほとんどが畑で,このことは村絵図によっても確かめられる(同前)。文化初年の戸数100・人口453(男236・女217),馬28(国志),天保3年の家数98・人数451(村高七通順一州諸留)。助郷は上大野・下大野・立野・小篠【おしの】の4か村とともに犬目宿へ出役した。寺院は,臨済宗建長寺派竜滝山全昌寺があり,本尊は地蔵菩薩,至徳年間に仏照の開山といわれる。神社は素盞男神社と小松神社があり,素盞男神社は梶原某が平重盛の刀を祀ったといわれ,元永癸未・文明庚子の古棟札がある(国志)。明治4年山梨県に所属。同7年全昌寺を仮用して綱ノ上学校を開校し,同8年梁川学校と改称。地租改正前の耕地面積は田5反余・畑17町余(市郡村誌)。明治7年梁川村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7336590
最終更新日:2009-03-01




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