ケータイ辞書JLogosロゴ 寺辺(中世)


山梨県>若草町

 戦国期に見える地名。巨摩【こま】郡のうち。永禄4年閏3月吉日の武田晴信禁制によれば,府中八幡社の廻番の勤仕として「四十九番 寺辺の禰き 両人」と見え,当地の八幡宮および山王権現の禰宜が2日2晩府中八幡へ出向いたことがわかる(八幡神社文書/甲州古文書1)。天正9年3月20日の武田家印判状写には「寺辺の孫右衛門」ほか10人の農兵が各郷から徴集されて岩殿城の守りについている(荻原七郎兵衛所蔵文書/甲州古文書3)。同10年武田家滅亡ののちに甲斐に入った徳川家康は,武田の旧臣に知行充行や安堵を行ったが,同年11月27日の徳川家印判状写には「寺部宮分拾五貫文」ほか計50貫150文を渡辺式部丞に本給として与えた(譜牒余録/徳川家康文書の研究上)。同11年4月19日の同判物写では,当地1貫文ほか計102貫220文の地を加賀美中条の法善寺領として寄進した(法善寺文書/甲州古文書2)。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7336628
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ