ケータイ辞書JLogosロゴ 藤田村(近世)


山梨県>須玉町

 江戸期〜明治7年の村名。巨摩【こま】郡のうち。逸見筋に属す。はじめ幕府領(「慶長古高帳」では旗本屋代越中守知行地),のち甲府藩領,享保9年幕府領,延享3年一橋家領,寛政6年からは幕府領(甲府代官所)。村高は,「慶長古高帳」488石余(ほかに神明領1石余),「宝暦村高帳」639石余,「天保郷帳」640石余,「旧高旧領」も同じで,うち伊勢大神領1石余。文化初年の戸数72・人口232(男114・女118),馬29(国志)。1,400間余の渠をうがって須玉川の水を引き水田耕作を行った。薪炭・秣などは茅ケ岳山麓の入会山から得た。神社は神明宮,寺院は曹洞宗藤田山顕光寺がある。顕光寺には百観音を祀る堂宇があり,観音堂は馬頭観音信仰を求める逸見地方の人々で繁盛し,百観音の名は小名として残る。明治4年山梨県に所属。同7年穂足村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7336650
最終更新日:2009-03-01




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