ケータイ辞書JLogosロゴ 藤田(中世)


山梨県>若草町

 戦国期に見える地名。巨摩【こま】郡のうち。天正10年武田氏の本宗の滅亡後,甲斐に入った徳川家康は,武田氏の旧臣の知行を安堵する方針をとったが,同年12月5日の徳川家印判状写では,饗場修理亮の本給として「藤田飯野分百文」ほか計29貫300文を安堵し(旧臼井阿原村源五衛門所蔵文書/甲州古文書2),同11年4月19日の徳川家康判物では,加賀美の法善寺領として「藤田内壱貫百二十文余」ほか計102貫220文を安堵している(法善寺文書/同前)。なお,天正20年の身延山末寺屋敷免許状に「藤田 泉能寺」と見える(久遠寺文書/同前)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7336652
最終更新日:2009-03-01




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