ケータイ辞書JLogosロゴ 藤田村(近世)


山梨県>若草町

 江戸期〜明治22年の村名。巨摩郡のうち。西郡筋に属す。はじめ幕府領,のち甲府藩領,享保9年からは幕府領(市川代官所など)。村高は,「慶長古高帳」672石余(ほかに八幡領3石余),「宝暦村高帳」1,342石余,「天保郷帳」1,346石余,「旧高旧領」も同じで,うち八幡大神領3石余。慶長6年検地での村高672石余の耕地面積は田17町余・畑11町余。文化初年の戸数127・人数624(男303・女321),馬1(国志)。名主役は長百姓が交替で勤務。入会地は高尾山青野口を利用。五味国鼎は江戸中期の医師で太宰春台の門下。広瀬周平も江戸中期の医師で儒学者でもあり,明行寺に墓がある。広瀬元恭は和蘭医学を学び,維新の際に京都陸軍病院の長となる。五味可都里は江戸後期の俳人。神社は朱印高3石余の八幡宮があり,「国志」には「其創ヲ知ラズ,加賀美遠光再興ノ地ナリ」とある。寺院は日蓮宗遠秀山泉能寺・香岸山道昌寺・七宝山明行寺,曹洞宗地久山藤田寺などがある。明治4年山梨県に所属。同6年浅原・加賀美の両村とともに藤田学校を泉能寺を仮校舎として開設。同7年の戸数165・人口860(甲斐国区別郡村便覧)。地租改正後の耕地面積は田147町余・畑18町余(市郡村誌)。同11年中巨摩郡に属す。同22年藤田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7336653
最終更新日:2009-03-01




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