ケータイ辞書JLogosロゴ 藤田(近代)


山梨県>若草町

 明治22年〜現在の大字名。はじめ藤田村,昭和29年若草村,同34年からは若草町の大字。昭和25年の世帯数215・人口1,266,同年の耕地面積は田126町余・畑44町余,八田溜などの灌漑池をはじめ地域内を灌漑用水路や暗渠・小河川が縦横に疏通して水田地帯を形成する。明治期より地主制が発達し小作人組合もつくられる。第2次大戦後は米麦のほかキュウリ・トマトなどの蔬菜栽培も盛んとなる。昭和55年の世帯数279,うち専業農家数37・兼業農家数128,総経営耕地面積1万3,050a,うち田7,632a・普通畑321a・果樹園4,843a・桑園226a・その他28a(農林業センサス)。当地出身の広瀬和育は貴族院議員などをつとめた政治家で文化人でもあり,甲保吉は明治の角界で活躍した。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7336655
最終更新日:2009-03-01




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