ケータイ辞書JLogosロゴ 長池村(近世)


山梨県>山中湖村

江戸期〜明治5年の村名都留【つる】郡のうち郡内領に属す寛文9年の検地時に平野村から分村して成立富士山の北東麓,山中湖の北岸に位置する地名の由来は,山中湖の北岸に東西に長くのびているので,あたかも湖が長く広がる池のようであることにちなむという(国志)はじめ谷村藩領,宝永元年からは幕府領(谷村・韮山・石和【いさわ】・市川の各代官所支配を経る)村高は寛文9年検地では3石余,「寛永村高帳」「享保郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」では平野村の村高のうちに含まれているただし,「元禄郷帳」では平野村と当村の名が併記され,「国志」での平野村の村高は24石余・当村3石余文化初年の戸数34・人口172(男88・女84),馬30(国志)富士山の火山灰によって耕地には恵まれず,稼ぎとして男は富士山内で伐木・挽板をして材木を沼津・三嶋・小田原へ売り出し,また他国へ出て賃木挽きをし,女は畑耕作の余暇に薪取りなどを行って近在へ売り出していた東部の小山の上に和田殿屋敷という所があり,中世の建暦3年の戦いに敗れた和田一族の住居跡と伝えられる明治4年山梨県に所属同5年平野村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7336729
最終更新日:2009-03-01




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