ケータイ辞書JLogosロゴ 中村(近世)


山梨県>身延町

江戸期の村名巨摩【こま】郡のうち西河内領に属す富士川中流右岸に位置する地名の由来は,中心的な集落であったことによると思われるはじめ幕府領,のち甲府藩領,享保9年からは幕府領(上飯田・甲府・石和【いさわ】の各代官所を経て寛政6年から市川代官所の支配)村高は,「慶長古高帳」24石余,「宝暦村高帳」「天保郷帳」36石余「国志」によれば,枝郷に大久保があり,文化初年の戸数32・人口150(男74・女76),馬2駿州路に沿い,南部宿の大助郷村であった寺院は,日蓮宗身延山久遠寺末の道長山唯勝寺がある「国志」によれば,名主は横根村と兼帯で,同村とは1村のように境界が交わり,横根中村と称することもあった「旧高旧領」では横根中村と見え,幕末期には両村が合併して横根中村と称するようになった
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7336805
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ