ケータイ辞書JLogosロゴ 奈胡荘(中世)


山梨県>甲西町

南北朝期に見える荘園名巨摩【こま】郡のうち明徳2年法善寺領記に「七段奈胡荘浅原郷内中泥村」とある(国志)甲府盆地南西部の平坦地で,釜無川と笛吹川が合流する手前の,釜無川右岸に位置する甲斐源氏奈胡十郎義行の拠ったところといわれ,現在の東南湖【ひがしなんご】字十郎樹はその墓所と伝える(同前)この地域は釜無川の氾濫原で,沃土であったから命名された(同前)といわれるが,奈胡には一般的に平坦地という意味があるので,後者の意味である可能性も高い戦国末期には,南古・南胡(大泉寺文書)と書かれ,永禄4年武田晴信禁制には「なんこ」と見える(八幡神社文書/甲州古文書1)戦国期には荘名としては消滅していたようである武田古系図には奈胡郷土手外七郷として奈胡・和泉・田島・藤田・浅原・今福・藤巻があげられている(国志)江戸期の藤田・田島・西南胡・和泉・藤巻・今福・今福新田・東南胡・高田新田・浅原の10か村に相当する現在の甲西町東部から田富町南西部にかけての地域に比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7336814
最終更新日:2009-03-01




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