ケータイ辞書JLogosロゴ 西之原(中世)


山梨県>塩山市

 戦国期に見える地名。山梨郡のうち。天正10年8月6日の徳川家印判状写によれば,「西之原拾貫文」の地が古屋甚五兵衛に本給として充行われている(依田泰八家文書/甲州古文書3)。天正10年3月,武田氏が没落した後,甲斐は一時織田信長の支配するところとなった。しかし,同年6月,信長が京都本能寺で死没すると,7月,徳川家康が甲斐に入部し,8月上旬には信濃から南下した北条氏直軍と対峙する形勢となった。同文書はその最中に発給されたもので,充行の見返りとして武田氏旧臣の古屋氏に軍忠を要請している。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7336905
最終更新日:2009-03-01




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