ケータイ辞書JLogosロゴ 根羽(中世)


山梨県>高根町

戦国期に見える地名巨摩【こま】郡のうち美し森の南,大門川と須玉川(川俣川)に挟まれた地天正10年9月7日の小尾監物あて徳川家印判状写(旧津金衆所蔵文書/甲州古文書2)に「根羽三貫七百文」とある武田家滅亡後天正10年に甲斐に入った徳川勢は,武田家旧臣に知行充行や本領安堵を行ったが,当地内においても3貫700文が,徳川方に帰順して戦功のあった津金衆の1人小尾祐光に充行われたものついで9月9日の徳川家印判状写(同前)では「根羽・樫山共五貫文」ほか,計455貫文余が,同じく津金衆の津金胤久に充行われている樫山は旧高根村大字樫山(現高根町清里)で,根羽は「国志」に「山岳連レリ,幽遠ニシテ,念場ト云フ曠原モ本村(樫山村)ノ域ニ懸レリ」とあり,江戸期,樫山村のうちに含まれていたまた「又,根場山トモ云」とあることにより,当地は念場・根場とも記すことが知られる(国志)文正元年3月,武田信昌が村上政国の部将杵渊下野守と戦った古戦場といわれ(蔭涼軒日録),また口碑には,中世,清次なる者が当地をひらき,繁栄して念場千軒と称したという(国志)現在,高根町清里のうちに念場原なる字名があるので,当地の比定地もその付近と推定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7336947
最終更新日:2009-03-01




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