ケータイ辞書JLogosロゴ 羽鹿島村(近世)


山梨県>鰍沢町

 江戸期〜明治22年の村名。八代【やつしろ】郡のうち。東河内領に属す。「国志」によれば,慶長郷村帳には西河内領に属すと見えるという。はじめ幕府領,のち甲府藩領,享保9年からは幕府領(市川代官所など)。村高は,「慶長古高帳」11石余,「宝暦村高帳」58石余,「天保郷帳」「旧高旧領」59石余。文化初年の戸数50・人口233(男122・女111),馬2(国志)。わずかな平地に水田をつくり,背面の山地に畑をつくる。畑作物は稗・粟・黍・芋・豆・生姜・木綿・桑などであった。寺院は曹洞宗福泉寺・日蓮宗久栄山円応寺があった。福泉寺はもと真言宗で徳養寺と称したが,中世に改宗改名したもので,真言宗時代の不動堂を相続したが,幕末期に廃寺となり,不動堂は円応寺に祀られることになった。円応寺もはじめは浄土宗で竜泉院と称したが,永禄8年一妙院日信の教化により日蓮宗に改宗し,寺名も円応寺と改めた。明治4年山梨県に所属。同8年の戸数50・人口228(甲斐国区別郡村便覧)。同11年西八代郡に属す。村の広さは東西9町・南北25町余,山梨県庁へは6里の道のり,地租改正後の反別は田5反余・畑17町余・林6町余など計27町余,地質は砂真土5分・赤真土3分・白真土2分で良くない(市郡村誌)。同22年市制町村制施行により単独で自治体を形成。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7336965
最終更新日:2009-03-01




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