ケータイ辞書JLogosロゴ 日影村(近世)


山梨県>大和村

 江戸期〜明治22年の村名。八代【やつしろ】郡のうち。大石和【おおいさわ】筋に属す。はじめ谷村藩領,寛永9年幕府領,のち甲府藩領,享保9年からは幕府領(石和代官所)。村高は,「慶長古高帳」112石余(ほかに諏訪大明神領1石余),「宝暦村高帳」「天保郷帳」ともに135石余,「旧高旧領」137石余(うち訪諏明神領1石余)。甲州街道の駒飼宿が当村内に設置され,日影村の村名よりも駒飼宿の宿名のほうがよく知られる。「国志」では村名は駒飼宿と見え,枝郷に日影・長垣がある。文化初年の戸数78・人口277,男147・女130(国志)。鶴瀬口留番所の下番を勤めた。村民の中には駄賃稼ぎを専業にしたり,峠に店を開いて甘酒を売る者もあったが,農業のかたわら養蚕を営む者が多かった(渡辺家文書)。枝郷の長垣は筬柿【おさがき】とも書き,古くは筬を掻く職人が住んだ所とされ,文化初年の戸口は19戸・77人(国志)。筬とは織機の付属具で,経【たて】糸の位置を整え,緯【よこ】糸を織り込むのに用いるもの。寛永年間当地に居住した佐藤惣太夫は,武田氏の後に徳川氏に仕官した中間100人の頭であった。神社は諏訪神社,寺院は浄土宗下石森村円福寺末国宝山養真寺がある。明治4年山梨県に所属。同6年日影学校,同8年駒飼郵便局を開設。同11年東八代郡に属す。村の広さは東西41町余・南北35町余,地租改正後の反別は田2反余・畑36町余・林6反余など計39町余(市郡村誌)。同12年の戸数86・人口404,水車5,馬16,物産は黍・粟・稗・大豆・大根・薪・鶏・鶏卵・蜀黍・木材(共武政表)。同22年市制町村制施行により単独で自治体を形成。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7337025
最終更新日:2009-03-01




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