ケータイ辞書JLogosロゴ 百石町(近代)


山梨県>甲府市

 明治36年〜昭和39年の甲府市の町名。もとは甲府市大字飯沼村の一部。江戸期の百石町のほか小砂町・田町の地域も含む。明治22年の戸数87・人口358,大正9年の世帯数418・人口1,809。明治27年甲府測候所が設立されたが大正9年伊勢町へ移転。明治5年創刊の峡中新聞の後身である山梨日日新聞を発行する又新社が,同35年常盤町から移転。明治32年私立農業試験場を開設,翌年県立農事試験場となり同40年伊勢町へ移転。同35年若尾倉庫建設,同44年私立山梨英和付属幼稚園開設。大正4年カナダ婦人伝道会社の経営になる私立山梨カートメル女塾が開塾。同9年春日小学校を新築し相生町から移転。明治期〜大正期は町内に田地が多かったが,国鉄中央本線甲府駅に近い地理的条件から昭和期になると会社・商店も漸次増加した。第2次大戦前には製糸工場のほか製機・鉄工・鋳物などの工場もみられた。昭和20年の空襲では町内647世帯中644世帯が全焼,死者14人の大きな被害をうけた(甲府空襲の記録)。同22年農林省山梨食糧事務所設置。同26年の世帯数455・人口2,064。同39年丸の内1〜3丁目の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7337069
最終更新日:2009-03-01




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