ケータイ辞書JLogosロゴ 藤崎村(近世)


山梨県>大月市

 江戸期〜明治4年の村名。都留【つる】郡のうち。郡内領に属す。「慶長古高帳」では「ふく島」,「寛永村高帳」では「伏崎村」と見える。枝郷に小田・岡・久保・大田・津成がある(国志)。はじめ谷村藩領,宝永元年からは幕府領(おおむね石和【いさわ】代官所谷村出張陣屋の支配)。村高は,「慶長古高帳」395石余,「寛文九年甲斐国郡内領高辻帳」「享保郷帳」ともに356石余,「天保郷帳」361石余,「旧高旧領」358石余(うち天神社除地7斗余・妙楽寺除地8斗余・長谷寺除地1斗余)。「寛文九年甲斐国郡内領高辻帳」の高が「慶長古高帳」より減少しているのは,文禄検地(この村高も「慶長古高帳」と同じ395石余)の時まで猿橋村の枝郷幡野が当村のうちに含まれていたためという(国志)。文化初年の戸数128・人口704(男360・女344),馬50(国志),天保3年の家数130・人数720(村高七通順一州諸留)。同年の調査によれば,村高356石余のうち畑320石余・田25石余と畑作を中心とする村方で,桑畑が多く,養蚕が盛んであり,機業もまた村民の重要な産業であった。同9年の村明細帳によれば,絹・紬織りを行うとともに煙草が重要な商品作物であったことがわかる。助郷は,畑倉・奥山の2か村とともに猿橋宿へ出役した。寺院は,浄土真宗本願寺派徳蔵山福泉寺と臨済宗建長寺派徳蔵山妙楽寺があり,福泉寺はもと南都留郡秋山村寺下にあり,天台宗に属して法泉寺といったが,安貞2年浄土真宗に帰入し,弘治3年秋山村より当村に移り,徳蔵山福泉寺と改めたと伝えられ,妙楽寺は貞和元年鎌倉建長寺37世四明笠仙が開山し,のち民家に接して火災延焼のおそれがあるという理由で宝暦5年に現在地に移ったという。神社は春日神社がある。明治4年山梨県に所属。地租改正前の耕地面積は田2町余・畑40町余(市郡村誌)。なお同7年妙楽寺を校舎として藤崎学校が開校。明治4年大原村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7337126
最終更新日:2009-03-01




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