ケータイ辞書JLogosロゴ 舟津(中世)


山梨県>河口湖町

 戦国期に見える地名。都留【つる】郡のうち。「妙法寺記」によれば,文亀4年は3月まで雪が降らず,春の水が不足したようで,郡内小山田氏の有力家臣小林尾張入道(道光)は舟津の「ツゝノ口」を開けて水を引いたところ,河口湖の水がかれたという。当地は,小林一族の一拠点であり,同記によれば,永正18年2月18日に武田信虎は「大原舟津」の小林宮内丞の屋敷に泊まり,翌日,中津森(都留市)の小山田氏館へ向かった。小林宮内丞は,同記大永3年条に見える「和泉殿」(小林和泉)と同一人物と考えられ,彼は大原(河口湖周辺)の代官を勤めており,この年,屋敷を新造している。なお,「高野山引導院過去帳」には,「道光禅定門逆修〈甲州鶴郡船津村小林対馬守天正十四年七月十五日〉」と見える。この道光は先の尾張守親光(天文4年死亡)と異なるが舟津の小林一族の1人であろう。また,「妙法寺記」天文24年条によれば,前年,「大原ノ嶋」(河口湖の鸕鷀島)に流刑となっていた信州の知久殿と与四郎殿が死亡している。年未詳の4月15日の武田信玄書状によれば,当地と川口の両所には関所があったが,かつて武田氏は富士浅間社に立願のため,寄進の意味で両関所を開いておいたのを,最近,再設されたと聞いて郡内守護小山田弥三郎(信有)を糾弾している(安藤謹四郎氏所蔵文書/大日料10-15)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7337142
最終更新日:2009-03-01




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