ケータイ辞書JLogosロゴ 船津村(近世)


山梨県>河口湖町

 江戸期〜明治8年の村名。都留郡のうち。郡内領に属す。はじめ谷村藩領,宝永2年からは幕府領(韮山・谷村・市川・石和【いさわ】の各代官所支配を経る)。村高は,「慶長古高帳」224石余,「享保郷帳」201石余,「天保郷帳」202石余,「旧高旧領」も同じでうち円通寺除地3斗余。本年貢のほかに畑方見取年貢・野畑年貢を出し,また稗・大豆なども納めた(享保郷帳)。「国志」によれば,文化初年の戸数170・人口897(男450・女447),馬65。無年貢地1町3反余,百姓持林59か所,北部に古官道が通り,南は吉田へ,北は川口村へ往還し,ともに1里の道のりで,両所への賃銭は本馬42文・軽尻26文・人足16文。また河口湖畔の村々とともに富士山入会地に入り,伐り出した材木を駿河・相模両国へ出した。山中番所への運上金上納によって他国売買免許の手形を受けて農間稼ぎとし,女は農間に養蚕を行った。地質は富士山の焼砂のため耕作にはむかず,作物はわずかに大麦・小麦・粟・稗・大豆・小豆・蕎麦などができるだけで,山稼ぎによる材木の売出しや甲府〜沼津間の駄賃稼ぎ,また絹・紬の行商などによって生計をたてた。用水は湖水を用いた。暖春にはたびたび雪代【ゆきしろ】(雪どけ時の土砂崩れと洪水)が住居や田畑を襲った。寺院は小林尾張守の開基といわれる臨済宗円通寺,神社は筒口大明神・今諏訪大明神・八王子大権現・天満宮・大神宮・山神宮・小御岳大権現があった。明治4年山梨県に所属。同8年大富村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7337143
最終更新日:2009-03-01




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