ケータイ辞書JLogosロゴ 松尾郷(中世)


山梨県>塩山市

戦国期に見える郷名山梨郡のうち元亀2年3月13日付武田信玄充行状に「弐百貫 甲州 松尾郷」とある(陽雲寺文書/武州古文書下)この所領は,武田信虎五男で外祖父松尾信賢の遺領を継いで当郷に住した松尾民部少輔信是の所領であったが,同年,信是が死去したため,弟の河窪兵庫助信実に充行われたものである松尾氏の祖は,山城松尾社社家松尾綱賀の息重金で,甲斐守護武田信重が綱賀を招聘して山梨郡松尾神社(塩山市小屋敷)の長官とし,その重金の代に当郷に定住するようになったという(国志)「塩山向嶽禅菴小年代記」大永6年条には,同年4月1日,「於曽千野竹森松之尾村上井尻数十郷」に氷塊が降ったことを伝えるが(影印甲斐戦国史料叢書1),この「松之尾」は当郷であろう天正10年3月,武田氏が滅亡すると,一時,甲斐は織田信長の支配するところとなったが,同年6月,京都本能寺で信長が死没すると,徳川家康が入部,小田原北条氏の競合を排して,8月には甲斐一国を掌握したこれにともなって,家康は武田氏旧臣の本領安堵を推進した同年8月,小屋敷の網野氏に「松尾郷六貫五百文」が安堵されたといい(国志),12月9日には「甲州松尾之内四貫文」が岡市丞に(譜牒余録/甲州古文書3),12月11日には「恵林寺松尾分夫銭拾五貫文」が小尾監物(祐光)に(旧津金衆所蔵文書/甲州古文書2)安堵されている翌11年には,3月28日,「恵林寺内松尾分踏出三貫文」が村松采女に安堵され(諸家文書纂/甲州古文書3),4月24日には前述の「松尾郷弐百貫文」が川窪新十郎(信俊)に安堵されている(川窪信俊所蔵文書/甲州古文書1)現在の塩山市小屋敷に字上松尾・松尾・下松尾があるちなみに,小屋敷の名は武田信昌の子信賢,信虎の子信是が相ついで松尾家を継ぎ,当郷に居館を構えたために生じたといわれる(国志)
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7337227
最終更新日:2009-03-01




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