ケータイ辞書JLogosロゴ 丸滝村(近世)


山梨県>身延町

 江戸期〜明治7年の村名。八代【やつしろ】郡のうち。東河内領に属す。はじめ幕府領,のち甲府藩領,享保9年からは幕府領(上飯田・甲府・石和【いさわ】の各代官所を経て寛政6年以後市川代官所)。村高は,「慶長古高帳」40石余,「宝暦村高帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに69石余。「国志」によれば,枝郷に桜井・外ノ屋敷があり,文化初年の戸数42・人口177(男88・女89),馬20,東河内領の駿州通路があり,北の帯金より南の角打まで域内10町の長さの道が通る。西河内を通る駿州往還南部宿の大助郷村でもある(村方文書)。神社は子ノ神祠,寺院は日蓮宗身延山久遠寺末一乗山妙法寺がある。江戸期には米・麦を中心とした農業のほか,山畑に楮・三椏が植えられ,市川・西島の手すき和紙の原料として売買されて農家の重要な換金作物となった。文化9年には当地にも紙すきが6軒あった(大正5年大河内村村政取調書)。楮・三椏栽培は昭和の初期まで行われた。明治4年山梨県に所属。同5年の戸数44・人口210。同7年大河内村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7337241
最終更新日:2009-03-01




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