ケータイ辞書JLogosロゴ 光子沢村(近世)


山梨県>身延町

 江戸期〜明治8年の村名。巨摩【こま】郡のうち。西河内領に属す。はじめ幕府領,のち甲府藩領,享保9年からは幕府領(上飯田・甲府・石和【いさわ】の各代官所を経て寛政6年以後市川代官所)。村高は,「慶長古高帳」27石余,「宝暦村高帳」48石余,「天保郷帳」52石余,「旧高旧領」49石余。「国志」によれば,枝郷に谷津【やつ】・長畑があり,文化初年の戸数27・人口131(男63・女68),馬2,西は相又村・横根村・中村でおのおの山頂を境とする。同書によると寺院は身延山(久遠寺)内の麓坊の抱え庵である光沢院,神社は熊野権現と天満宮があり,天満宮は南部村神主の兼帯。当村は駿州往還筋にあり,南部宿の大助郷村。明治3年には当村を含む西河内領53か村は助郷免除を願い出ている(身延町誌)。同4年山梨県に所属。同5年の戸数26・人口124。地租改正前の反別は田2町余・畑21町余など(市郡村誌)。同8年豊岡村の一部となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7337286
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ