ケータイ辞書JLogosロゴ 村山郷(中世)


山梨県>高根町

戦国期に見える郷名巨摩【こま】郡のうち天正10年,甲斐国に入国した徳川家康は武田氏の旧臣に所領充行や安堵を行ったが,同年9月7日の徳川家印判状写に「村山郷 弐百貫文」ほか計280貫文の地を64貫700文の本領のほかに新知行として津金衆の一員であった小尾祐光に充行った(旧津金衆所蔵文書/甲州古文書2)ついで同年9月9日の徳川家印判状写でも当郷200貫文を再び安堵し,その文言によると,当郷はもと玄徳斎宗栄(日向大和守)の所領であった(同前)また同年10月12日の徳川家印判状写では,五味(乙骨)太郎左衛門の所領として当郷内5貫500文ほか計10貫文を新知行として充行った(旧武川衆所蔵文書/甲州古文書2)乙骨氏は武田信玄の近習衆であった同11年,家康の部将平岩親吉が甲斐に入ったが,同年閏正月14日の徳川家康判物写によれば,もと武田勝頼に随伴し,武田氏滅亡後,甲斐に侵入した小田原北条氏との合戦で徳川方として戦功のあった日向政成に「村山之内安林寺分手作分七貫三百文」ほか計113貫100文の地を本領として安堵した(記録御用所本古文書/甲州古文書3)慶長6年10月の縄打水帳に「逸見筋村山之内西割」とあり(県立図書館所蔵文書/同前),また「国志」にも村山東割は「北割村・西割村等,皆接近セリ,古時同村ナリト云フ」とあるので江戸初期に当郷は村山西割・村山東割・村山北割などに分かれて現在に至ったと思われる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7337360
最終更新日:2009-03-01




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