ケータイ辞書JLogosロゴ 柳町宿(近世)


山梨県>甲府市

江戸期の甲州街道の宿場名甲府柳町宿ともいう甲府城下の1町である柳町地内に宿場を形成寛永13年に宿駅として成立した「甲州道中宿村大概帳」によれば,宿高はなく,地子免許は甲府城下全体のため坪数は不明で,江戸への里程は35里25町余,近隣の宿場へは石和【いさわ】宿へ1里19町,韮崎【にらさき】宿へ3里25町50間,駿州道中条へ4里半,宿往還は板垣村境から西青沼村境までの甲府町往還通りの全長1,315間余,宿内の町並みは柳町分の往還の長さが東西南北4町47間,ほかに城屋町3町19間,和田平町2町55間,下一条町2町49間,上一条町3町23間,金手町1町56間,工町31間,八日町5町49間,片羽町5町3間,西青沼町7町9間を通った天保14年の宿内人別は905人(男486・女419),ほかに城屋町など9か町分の人別は3,018人(男1,623・女1,395),宿内家数209軒,ほかに9か町分の家数490軒,本陣は柳町2丁目に1軒あり,建坪は40坪で門構・玄関付き,脇本陣も柳町2丁目に1軒あり,建坪は49坪で,門構・玄関はともになく,同年の旅籠屋は21軒あったが,文政年間に類焼してまだ普請が完成していない状態であった宿の高札場は字八日町にあり,宿建人馬は25人・25疋,うち5人・5疋は囲人馬,人馬継立問屋場は柳町3丁目に1か所あり,問屋1人・名主業年寄2人・宿役人代2人・馬指1人がいた正徳元年に定められた駄賃・人足賃は,石和宿まで荷物1駄73文・乗掛荷人共73文・軽尻馬1疋48文・人足1人36文,韮崎宿まで荷物1駄181文・乗掛荷人共181文・軽尻馬1疋122文・人足1人89文,中条宿まで荷物1駄216文・乗掛荷人共216文・軽尻馬1疋143文・人足1人108文,鰍沢【かじかざわ】宿まで荷物1駄236文・乗掛荷人共236文・軽尻馬1疋156文・人足1人118文なお,天保9年には,同10年から10年間はこの駄賃・人足賃の1割5分増しとすることが決められた宿内の木賃銭は主人1人35文・召仕1人17文・馬1疋35文韮崎宿までの間には西青沼村・上飯田村・下飯田村・上石田村・富竹村・竜王下河原村・長塚村・富竹新田・大下条村・竜王新町・竜王村・竜地村・下今井村・志田村・宇津谷村・岩下村の村々があり,この間には志田村地内に一里塚,下今井村・宇津谷村にそれぞれ立場があったが,並木は植えられていなかったなお,元禄4年の町年寄御用留によれば,伝馬役の代償として町中付出し荷物の独占権や在々馬からの「小出シ札銭」の徴収権が認められていた(甲州文庫史料1)また柳町問屋から定助町への人馬触当経路は,当初問屋年寄を経由して定助町の各組に伝えられたが,安永元年当町と定助町の間で人足負担の不公平が問題となり,以後定助町に年番月行事を置くことが定められ,この年番月行事を通して定助各町へ伝えることになった(同前)
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7337420
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ