ケータイ辞書JLogosロゴ 山宮村(近世)


山梨県>甲府市

 江戸期〜明治8年の村名。山梨郡のうち。北山筋に属す。はじめ幕府領,のち甲府藩領,享保9年からは幕府領(甲府代官所)。村高は,「慶長古高帳」927石余,「宝暦村高帳」928石余,「天保郷帳」949石余,「旧高旧領」948石余(うち大宮大神社領2石・青松院領14石余・明王院領2石余)。慶長6年の検地帳では屋敷数46,貞享元年の検地では村高766石余,家数83・人口335,馬10。「国志」によれば,枝郷に新田があり,文化初年の戸数83・人口335(男161・女174),馬10,寺社は真言宗照沢山明王院,曹洞宗光沢山青松院・御岳山常光寺・長徳山福寿院,大宮明神がある。青松院は大永2年の創建と伝え,朱印14石4斗を受領する名刹で,本尊十一面観音像は県文化財となり,また甲州三十三番札所の1つ。享保3年当村の市郎右衛門が甲府藩主柳沢吉里の命により「屋なは」の地に甲州でははじめて西瓜を作りはじめ,以来「山宮村の名代の西瓜」と名声を得た。稲作には荒川の水利が用いられ,江戸末期にはその堰の水勢を利用した水車による精米業が発達し,用水路に沿って6か所に水車精米所が建てられた。毎日そこから精米俵を荷馬車に積んで甲府城下佐渡町の甲府精米市場へ出荷した。明治4年山梨県に所属。地租改正前の反別は田32町余・畑21町余など。明治8年大宮村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7337452
最終更新日:2009-03-01




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