ケータイ辞書JLogosロゴ 和田町(近代)


山梨県>甲府市

 昭和12年〜現在の甲府市の町名。昭和20年の空襲では,13世帯が焼失,罹災者65人を数えた。第2次大戦後,獅子舞が復活した。相川小学校では同26年和田山の国有林1.98haを借り受け,学校林を設定,森林資源の愛護の社会教育として高学年児童が植林を始めた。翌年には市立北中学校でも1.88ha,里垣小学校では1.54haの学校林を設定した。同30年には和田峠登り口に,花園病院(精神科)が創立された。甲府営林署は和田山国有林とこれに接続する甲府市内の一部の山林を甲府自然休養林(レクリエーションの森)と名づけ,この中に風致保護地区266.69ha,相川鳥獣保護区724.87ha,水源涵養保安林1,154haなどを同36〜42年に指定した。この国有林および周辺の武田氏関係の史跡は,県の「武田の杜」遊歩道の建設ともつながり,甲府市民のピクニック,山菜取り,自然探勝の憩いの山になりつつある。同51年には山宮町にあった県立鳥獣センターが和田峠の近く,国有林1,200haを借りて移転した。同年三光寺山の中腹に老人ホーム尚古園が建設された。また和田峠を通る県道天神平甲府線が舗装・拡幅工事されるとともに,山すその畑や田が宅地化し,人口が増加し,世帯数・人口は,昭和50年227・961,同58年377・997となる。同58年の農地面積は,田4.44ha・畑1.65ha・樹園地3.94ha,農家数15。一部が,昭和29年緑が丘町,同42年北新1〜2丁目・西田町,同45年緑が丘1〜2丁目・大和町となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7337565
最終更新日:2009-03-01




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