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山梨県>身延町

 明治後期・大正期〜現在の大字名。はじめ大河内村,昭和30年からは身延町の大字。もとは大河内村の一部。農林業を主とし,大正期から昭和期にかけて養蚕が副業の中心となり,昭和6年には養蚕実行組合も結成された。また明治期から大正期にかけては富士川舟運の稼業も栄えた。大正8年富士身延鉄道の甲斐大島駅が大島に,同9年身延駅が角打に開設されたことを契機に当地は発展した。第2次大戦後はブドウなどの果樹栽培,シイタケの経営栽培なども行われているが,昭和30年代以降第2種兼業農家が増加し,町内外への通勤者も多い。世帯数・人口は,樋之上と合わせて,昭和30年101・602,同40年92・473。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7337567
最終更新日:2009-03-01




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