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- 青柳(中世)とは
「青柳(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 青柳(中世) 戦国期に見える地名駿河【するが】国富士郡のうち永禄12年7月11日の武田家朱印状に「一,青柳之内 参貫文」とあるのが初見(根原文書/県史料3)永禄11年に駿河に進出した武田信玄が味方に属した小林七郎左衛門に当地で3貫文を充行ったのであるまた,天正10年11月27日の徳川家康判物写によれば,斎藤半兵衛昌賢が地内の本領を安堵されている(譜牒余録/家康文書上)下って慶長4年10月8日の大宮司富士信通一和尚領配分知行付に「四斗五升三合四勺 〈青柳〉彦三」と見える(旧一和尚宮崎氏文書/県史料2)現在の富士宮市東町に比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 青柳(中世) 戦国期に見える地名常陸国北郡のうち永禄9年2月10日の昌就書状写に「青田之内青柳・羽生野」と見え,福地氏に充行われている(福地弥兵衛文書/家蔵文書)文禄3年の太閤検地を機に新治【にいはり】郡に属す文禄5年蔵納帳(秋田県立秋田図書館蔵)によれば,当地は346石9斗7升を算出し,石塚氏に預け置かれている江戸期には上青柳・下青柳に分かれ,現在の八郷町上青柳・下青柳付近に比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」