ケータイ辞書JLogosロゴ 芦田村(近代)


長野県>立科町

 明治22年〜昭和30年の北佐久郡の自治体名。大字は編成せず。古来中山道の宿場町であった町地区は商業が発達し,他の地区は米作・養蚕が主であり,また蓼科山麓に広大な山林を有するため林業も発達し,炭焼を業とする者もいた。また薬用人参も多く産出した。明治24年の戸数325,人口は男869・女828,学校1・水車場8。大正4年戸数372・人口2,225,水田232町・畑134町,山林は官有1,944町・民有768町(旧北佐久郡志)。世帯数・人口は,大正9年434・2,299,昭和10年483・2,454,同25年614・3,237。明治33年隣村の横鳥・三都和と3か村で学校組合を設け,校舎を新築し高等小学校および実業補習学校を設置し,実業補習学校は同35年乙種農学校に進んだ(現県立蓼科高校の前身)。昭和4年7月東京高等師範学校付属中学校の桐陰寮が蓼科に設立されたのが白樺高原への学校・会社・公共団体の寮建設の始まりである。この時村は約10町歩の敷地を無償で譲渡,昭和7年蓼科牧場が山麓に開場されたが,現在そのうち第一牧場は観光牧場化し,第二牧場では牛馬が放牧されている。遠く浅間連峰,荒船山など上信の山を眺望できる。第2次大戦後開拓地として美上下・池の平・大沢の新開地ができた。蓼科山麓の牧場・女神湖・白樺湖一帯の住民により蓼科区も新しくつくられた。同30年立科【たてしな】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7337698
最終更新日:2009-03-01




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